覚悟とは??子どもの不登校に直面しても仕事を諦めなかった理由とは🤔?

こちらの記事 ⇓

https://note.com/embed/notes/n7e49969935d6

この記事から続く
第1子が不登校というピンチに陥っても
仕事を辞めなかったわけ…。

今回はこのことについて
振り返ってみたいと思います。

若いころから子ども好きでした。
(そう思い込んでいただけかもしれませんが…。)

結婚はしなくても(できなくても💦)いいけれど
子どもはほしいな🤔と‥。

明確な理由はないのですが
若いころから漠然とそのように感じていました。

突然ですが、わたしにはどうにも抗えなかった
スピリチュアル体験があります。

そのことについても
いつか語れたらとも思うのですが

それはだいぶ先になるだろうと今は思います。

また、ものごごろ着いた時には
プロテスタントの保育園で
神様のお話を聴いて

中高校生の時には小さい子たちに
聖書のお話をしていたのに

嫁ぎ先に寺を選ぶという
なんとも数奇な人生を歩んでいます。

これも定められたもの
ご縁あってのことだったのだと

実母の生まれ育った環境などとも
照らし合わせて納得してはいます。

こうした捉え方が苦手な方には
スルーしていただけるとありがたいのですが

恐らく自分がこの地球に降りてくる前に
今回の人生のテーマ
「子どもに携わること」だと
決めてきていたように思えます。

こう思う理由は
自らの数奇な人生の

無数の人生経験の「点」が
抗えなかったスピリチュアル体験によって

一瞬で「線」につながったからです。

その体験が無かったら
間違いなく今のわたしは存在していません。

それくらい衝撃的な体験でした。
そしてそれは今も連綿と続いています。

話を仕事を辞めなかった
諦めなかった理由に戻して

一つ前の記事でお伝えしたとおり
その理由は2つあります。

1つ目は当時仕事がわたしの大事な
アイデンティティの一部だったからです。

ある意味では仕事に依存していた
いや、逃げていたのかもしれません。

仕事をしていると
わが身にまとわりつくしがらみから
一時逃れられ

お寺の嫁でも誰かのお母さんでも
誰かの娘でも妻でもなく

紛れもなく「わたし自身」という
独立した個人として

周囲から社会から
認めてもらえているような
そんな感覚がありました。

それがなくなったら果たして
わたしは何に自分を見出したらよいのか
分からなくなるような不安感

大げさに言うと恐怖感を感じていました。

それが仕事を辞めなかった、いや
辞められなかった理由です。

もう1つの理由
わが家の経済事情です。

嫁ぎ先が寺なので
さぞかし暮らしに余裕があるのだろうと
勘違いされる方もおられるかもしれません。

それはまったくの誤解で
お檀家の皆さま方には大変申し訳ない
言い方にはなるのですが

寺の収入だけでは
生活していくこと
子どもを産み育てていくことが
到底難しいために

周囲の寺から見たらあり得ない
寺族(住職の妻や母親、娘など)が
働きに出るという暴挙に出ているわけで

それでなくても子どもを産み育てることに
現代の日本はお金がかかるという時代

主人は寺と教員という二足のわらじを履いて
頑張ってくれて心から感謝はしているのですが

それでも経済的に楽ではなかったというのが
正直なところでした。

子どもたちにそれぞれ
やりたいことを思い切ってさせるのに
わたしが選択したのは

住居にまとまったお金をかけるのは
子どもの教育費が落ち着いてから

さらにはお金の勉強をして
お金にも働いてもらうという
これら2つでした。

なのでいまだに栃木の自宅は
掃除はされて綺麗に片付けてはいますが
お世辞にも立派とは言い難い
佇まいではあります。

でも、ここで子どもたちを
一生懸命育ててきたという
大事な思い出と愛着はあり

子どもたち3人とも古いながらも
この家を気に入ってくれてはいるようです。

しかし、いまでこそこのように
落ち着いて振り返ることができますが

娘が不登校に陥った時には日々
自分は果たして仕事をしていていいのだろうか

娘のためにやはり仕事を
辞めるべきなのではないか

この世の終わりかくらい
それはそれは、真剣に悩みました。

しかし最終的にわたしは
仕事を辞めないという選択をしました。

実は、まだ最近のことなのですが
当の娘から

「あのときおかんが仕事を辞めないで
 いてくれてほんとうに良かった。
 おかんが仕事を辞めてたら
 わたしはもっと自分を責めていただろうし
 恐らく立ち直れていなかったと思う。」

と想いを伝えてきてくれました。

しかし恐らく
わたしが仕事を辞めていたとしても
それなりに良い結末を
迎えられていたのではないかとも思います。

そう、どんなことにも実は正解はないのです。
だって、

正解・不正解を決めるのは
他でもない当人だから…。


先日の記事にも書きましたが
どちらを選択したとしても
何より大事なのは親としての

「覚悟」

なのだと
繰り返しになりますがあらためて感じます。

わたしが覚悟をもって腹を決めてから
間違いなく娘は氷が解けるように
少しずつ自分を取り戻して
いきました。

主人の理解と頑張りもありますが
仕事を辞めなかったおかげで

長女はもちろん下2人の子どもたちにも
やりたいことを思いっ切り
させてやることができました。

今、振り返って思うのは
やはり仕事は自分の大事な
アイデンティティ
だったということ。

仕事を辞めなかったこと
まして当時「教師」として生きる道
わたしにとって
他には代えがたいものでした。

今振り返ってみてやはり
経済的な自由

子どもを3人もつ
当時のわが家にとっては
とても、とても大切でした。

不登校児童生徒が35万人を超え
40万人に達しようとしているまさに今

お子さまが学校に行けなくなって
当時のわたしのように日々苦しんでいる方も
大勢おられることと思います。

その方たちに元当事者としてお伝えしたい。

お母さんもお父さんも
自分の人生を
大事にしていいんですよ✨


ご自身を大事にしたうえで
お子さんに寄り添い、見守りながら
ともに前に進んでいってほしい。

お子さんのために
すべてを投げ出す必要も
自分を犠牲にすることもないと

今、当時の自分を振り返り
わたしは思うのです。

それでも迷うよ、悩むよというときは
よろしければ、一緒に考えませんか??

伸ばせばそこにある
誰かの手を掴んでみませんか??

暗いトンネルの先には
きっと明るい光があなたを待っています✨

ここまでお読みいただき
ありがとうございました✨

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この記事を書いた人

*フリーランス公認心理師*子育て教育カウンセラー

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