覚悟とは??振り返って今思うこと🤔

先日とあるご相談をいただきました。
お子さまの行き渋り、不登校についてです。

そのことを振り返ってみて
思い出したことがありました。

わが娘が不登校になったときのことです。

娘の愛着の問題については
わが子たちが当時通っていた

ピアノ教室の先生から
それとなくお伝えいただいていました。

「○○ちゃん、さびしいみたいですよ。」
「お母さんにもっと甘えたいみたいですよ。」

まだ娘が小学校低学年だった当時
その先生のご助言を受け止めて
立ち止まっていれば

自分を振り返り
娘の気持ちに寄り添っていれば

娘はまた違った方向へ
進んでいたと思います。

誤解のないようにお伝えしておくと
その娘は30歳になった今
ありがたいことに
舞台で自分らしく輝いています✨

当時はとてつもなく苦しかったけれど
それはそれで娘の自分探しにとってある意味
重要なターニングポイントだったと言えると
今はそのように思います。

しかし、当時のわたしにとっては
第1子の子育てだったこともあり

もちろんあたりまえといえば
あたりまえなのですが
まだ母として未熟で

しかも当時自分は「教育者だ」などといった
変なプライドと
とんでもない自分への誤認があって

大事な先輩からのアドバイスに
耳を傾ける余裕がまったくありませんでした。

「大先輩」と申したのは
このピアノ教室の先生の息子さんが
不登校を経験していらしたからです。

わたしの子どもたちがお世話になっていた頃は
立派に社会自立されていましたが

不登校だった当時は時代背景もあって
そうとうご苦労されただろうと拝察します。

その後、まさにわが娘が不登校となり
自傷行為も現れてくる中で

わたしは真っ暗なトンネルの中を
娘と一緒にさまよい歩く数年を過ごしました。

その時の自分ことを
思い返してみて今思うのは明らかに

「他責」だった

ということです。

※今まさに渦中におられる方にはお辛い内容かと存じます。辛いとお感じになられた方は迷わずここからいったん離れてくださいね。

そして、周囲の誰かが
このピンチを救ってくれるのではないかと
まさにわらをもつかむ気持ちでおりました。

まずは「学校の先生」

娘の通う高校の担任の先生からは
「ここは進学校なので進学の相談にはのれますが
 生活指導の部分には期待しないでください。」

と言われ
これが義務教育ではなくなったということかと
先制パンチをくらわされました。

当時中学校で
生徒指導主事をしていた主人にすがり
学校側と交渉してもらい
少しは状況が改善しましたが

出席日数が足りなかったら
進級さえも危ういというのに
学校側の対応はなんとも頼りないものでした。

でも恐らく、当時の不登校件数からいったら
当然の対応だったのだと思います。

「お母さん、わたしたちにそんなこと
 期待されても生徒はいっぱいいるんですよ。」

先生側、学校側から見たら当然のことです。

しかし当時、わたしは
娘の人生が終わったら大変だ!!

『誰かに何とか
 してもらわなければ!!』

と必死でした。

娘の人生は終わるどころが

『このことがあったからこそ
 今の自分がある✨』

10数年が経った今娘は
このように思えているんですけどね😅

先日の相談がきっかけで
ふとこの時のことが思い出されて

わたしに足りなかったものは
なんだったのかと振り返りました。

わたしに足りなかったもの、それは…。

『親としての覚悟』

まさにこれでした。 ⇑

これが足りなかったのです。

誰かがなんとかしてくれる
なんとかしてくれる人を見つければ
きっとなんとかなる!!!

真面目に、真剣にそう思っていました。

当時のことをもう少し振り返ると
「思春期外来のカウンセリング」

「医療機関」にも頼りました。

カウンセリングは長期にわたりましたが
効果はあったように思います。

医療機関では薬を処方されただけで
ほぼ話を聴いてもらうこともなく

1回の服用でまる一日以上寝てしまった娘を
目の当たりにして不安を感じ
薬を止め1回の診察で終了にしました。

これは今思うと当然のことで
心も身体も疲れ果ててボロボロだった娘に
ロクに休養すらも与えてやれなかった
ダメすぎる母親でした😭

本来なら学校のことを後回しにして
ゆっくり休ませ休養を取らせるべきでした。

心理学的に客観視すれば
当然のことと腑に落とせることも

わが身に降りかかったこととなると話は別で
本当に日々手探りでとにかく必死でした。

当時娘が通っていた高校の近くに住んでいた
わたしの叔母にも
かなりサポートしてもらい助けてもらいました。

わたしはこの「もう一人の母」
赤ん坊の頃から精神面、金銭面の両面で
かなり大事にしてもらいました。

当時、娘の一番の理解者
血のつながった「祖母」とも言える
この叔母だったかもしれません。

この叔母の存在のおかげで
当時娘はギリギリのところで
なんとか自分を保つことができていました。

叔母には感謝してもしきれません。


ではそんな、他責だった当時の自分を
責められるのかと言ったら
そんなことはもちろんできません。

覚悟はなかったけれども
本当に親としてなんとかしようと
必死ではあったからです。

自分で自分を責めまくっていることにも
まったく気づけないくらい
必死にもがいていました。

当のはわたし以上にボロボロで
それこそ心底辛かっただろうと思います。

このような娘の姿を目の当たりにして
それまでの娘への

指示・命令・管理だらけで
ことごとく塩対応だった
母としての自分の行動を振り返り

やりたくないことを親の考えで押し付け
やりたかったことを親の忙しさを理由に
ことごとく後回しにさせてきたことが

こうした結果を招いたということを認め
大いに反省しました。

自分が駄目な親だと
できれば認めたくなかった自分にとっては
本当に辛い出来事でした。


ではそこからわたしがどのように
自分を『マインドリセット』していったのか‥。

娘の状況を理解し
自分「こう在ってほしい」と思う
ではなく

娘自身「こう在りたい」と思っている
その娘の姿全力で応援すると決めました。

そう決めた後も何度もつまずき
互いに傷つけ合いながら
試行錯誤を繰り返しました。

そして長い長い時間をかけ
娘は少しずつ自分を取り戻し

今現在の舞台で自分らしく輝く
本来の娘にようやくたどり着きました。

娘から数えきれないほど
たくさんのことを教えてもらい
抱えきれないほど大きなものもらいました。

授かった時また、この腕に抱いたときには
「命があって良かった!」

ただただ存在そのもの
愛おしかったはずなのに

いつの間にか
「こう在ってほしい」「こうなってほしい」
親の欲目つまらないプライドで
娘を追い込むことになったダメな自分を

今はようやく赦し
親として必死で歩いてきた自分を
「頑張ったね」と
褒めることもできるようになりました。

親子って
手を伸ばせばそこに在るのに
一生懸命見ようとしているのに
近すぎるからこそ見えない
ものだなあと

振り返ってそのように感じます。

こうした第1子との辛い葛藤や失敗があって
第2子・第3子には早い段階から

『自分は今、
 この子のために
 なにができるのか』

最優先してきました。

傷つくこと世間の常識
また失敗することを恐れず

『覚悟をもって』


一歩一歩前進
してきたからこそ
今があります


しかし、しかし‥。

かなり究極の選択を迫られながらも
『仕事は辞めない』を貫いてきた理由‥。

それは2つ✌

だいぶ長くなりましたので
その「2つの理由」については

また別の記事でお伝えできたらと思います。


ここまでお読みいただき
ありがとうございました✨

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この記事を書いた人

*フリーランス公認心理師*子育て教育カウンセラー

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