公認心理師・水澤靖子 / 支援コラム
支援の現場で「手を出しすぎる」と注意を受けた日——その出来事から、36年間支援者として歩んできたわたし自身、支援とパワー(権力)の関係について深く考えるきっかけをいただきました。
「手を出しすぎる」と注意を受けた日
時間講師として支援学級の公開授業に立ち会ったある日。いつもと違う流れの中で、特性のあるお子さんたちにとって負荷の高い一日でした。
その場面で、わたしはとあるお子さんが机の横にかけていた手提げ袋を、忘れないようにそっと手渡しました。すると——「手を出しすぎる」と注意を受けました。
なぜそっと手渡したのか。言語化してみると、理由は明確でした。忘れ物をしたとき、そのお子さんがどんな言葉を受けるか——それが見えていたからです。
冷静に振り返って——自分自身への問い
「責められるに違いない。それはかわいそう」という気持ちは本物でした。でもその裏側に、子どもが自分で気づく力を信じきれていなかった自分がいたことも、また事実です。
今回の行動は、そのお子さんが「忘れた」という経験から何かを学ぶ可能性を、わたし自身が奪ってしまっていたかもしれない——注意を受けたことには複雑な想いが残りましたが、同時に大切な気づきをいただいたとも感じています。
「自覚のないパターナリズム」という問題
インクルーシブ教育の研究者・野口晃菜氏は以下のように述べています。
野口晃菜氏(インクルーシブ教育研究者)より
「対等な関係性」は権力勾配がある中ではできない。大人と子どもではどんなにあがいても大人が権力を持っている。だからこそ、より権力を持っている立場がその権力を自覚して、自分自身は相手をコントロールしようとしている、その害を積極的に減らすことが大切だと思っている。ここの前提が権力を持っている側にないと、結局どんなに「子ども主体」や「対等」を心掛けていたとしても、自覚のないパターナリズムに陥る。
わたしが行った「ひっそり手渡す」という行動もまた、善意からとはいえ、子どもへの権力行使の一つだったかもしれない——この言葉を読んで改めて気づかされました。
「手を出す支援」と「寄り添う支援」——その境界線
手を出すことが「支配」になるのか、「寄り添い」になるのか——その違いは技術ではなく、支援者の内側にある人権感覚から生まれると、水澤は考えます。
わたしが考える支援の本質
💡水澤が大切にしていること
緩い枠の中で安全と安心を保ちながら
子どもの気づきと成長を促し、本来もっている力を引き出すこと。
子どもを大切な大切な、一人の人間として尊重すること
——これが、人権としての支援と、支援の本質、その両方の「根っこ」にある。
「わたしは今、この子をコントロールしようとしているか。その害を、減らせているか」——この問いを手放さない支援者でいること。それが、36年間水澤が現場で大切にしてきたことであり、これからも変わらない「みらいの樹」の根っこにある想いです。
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